てふてふ園

綴ります紡ぎます

蟻が出た。

タイトルの通り、部屋に蟻が出た。

 

――それは一人暮らしをしてから、三年目を迎え突然に、

 

在宅勤務をしているある日、ベッドの真上に窓があるのだが、そのカーテンを開けると黒い点が目立った。

埃が溜まったんだなあ等と思いながら、眺めているとこの埃、動いているように見える。

近眼の為近付いて凝視してみると、この黒い点、なんと蟻である。思わずのけぞる。その時の反動なのか、今でも腰と背中が痛い。

しかもこの黒点、そこら中にある。そこら中を蠢いている。やめろ、ベッドの上を歩くんじゃない。カップ麺等の食糧に群がるな。

その日は在宅勤務であったが、Web研修でもあった為、始業時間となってしまい、蠢く黒点を一旦放置し、パソコンに向かう。

その日は私の直属の上司が講師を務める研修だった。申し訳ないが、後ろの状況が気になり講義に全く集中できなかった。

休憩時間となり、振り返る。

 

「やだ、増えてる」

 

そう増えているのである。一体どこに侵入経路があるのか。いや、心当たりはある。この物件、平成元年生まれと中々趣深い建造物なのだが、腐っても鉄骨鉄筋コンクリート造、そうSRC造なんです。

通常コンクリート造は気密性が高いはずなのだが、この部屋、夏はカーテンを閉め切っていても室温は30度を遥かに超え、冬は5度を下回る。そう、外とあまり変わりはないのである。明らかにどこかに穴が開いている。

ほんとエアコンのある時代に生まれて良かったです。

 

部屋中に余すことなく広がる黒子を掃除機で余すことなく吸い取った。インターネットで調べるとどうやら蟻はアルコールが苦手らしい。僕は今やはぐれメタルより会うのが困難で、ラストエリクサーよりは容易く手に入るアルコールスプレーを、侵入経路と思わしきところにこれでもかというぐらいに吹き付けた。

その結果、それ以来蟻の侵入は落ち着いた。

そして、僕は引っ越しを決意するのである。

今まで物件探しや引っ越し作業の手間から、引っ越し自体を面倒に思い避けていた。何より、少々の不満はあっても、初めて一人暮らしを始めたこの部屋に愛着が湧いていた。さながら、あいつのこういうところが気になるけど、過ごしてきた時間が長く、それを超えて愛おしさを感じてしまう幼馴染カップルのような関係だった。

でも限界が来てしまった。一つ臨界点を超える出来事が起きてしまうと、悪いところ、気に入らないところが、源泉の如く噴出してしまう。止まらないのだ。「今年の梅雨は例年以上に梅雨らしい梅雨で、この部屋では耐え切れず色々なものがカビだらけになったこと」「設置されているエアコンが、いつの時代にものか分からないくらいの年代物で、フローリングの色と大差ないくらい黄ばんでいて、全く効かないこと」「内覧したときに落ち葉で荒れていたベランダが、入居するときもそのままになっていたこと」「十二月の入居の時に巾木が外れていたので、物件のオーナーが修理に来てくれたのだが、思った以上に破損していたらしく、材料の持ち合わせがないから、年明けの一月に修理に来ると言われ、既に三度の一月を経過していること」等々……今まで我慢できていたことが我慢できなくなり、引っ越しを決意した。こうして熟年離婚が起こるんだなと、恋愛経験も乏しく、まして結婚などしていない僕が、この世の真理を知れた。その点は非常に勉強になったと思う。

 

昨日、申し込んでいた部屋の審査が無事におり、転居先が決まった。ほっと胸を撫でおろし、帰路に就く。コンビニに寄り弁当と金麦を買った。部屋に入ると、居た。久方ぶりの邂逅。頭、むね、はら、に分かれる昆虫。そう、蟻だ。僕は慌てて心当たりのあるカーテンを開ける。

 

めっちゃ居た。

いや、居るのは自分のせいかなとも思った。それも初めて蟻を観測した日に、蟻の出所を知りたいのと、部屋中に散らばってほしくない一心で、思い当たりのある窓のところに、スーパー蟻の巣コロリを置いておいたのだ。その日西友で買ってきた。

設置後も、今や純金よりも価値があると聞くアルコールスプレーを余すことなく、吹き付けていたので、蟻は見なかったのだが、最近それをさぼっていたのだ。このスーパー蟻の巣コロリ、噂に違わず、相当の誘因力だ。いや、引くほど居たよ。もぞもぞしていた。スイミーの反転バージョンだった。5分間くらい、わーってか細い声を上げながら眺めちゃったもん。スーパー蟻の巣コロリ、本物です。

ただ、奇しくも侵入経路は分かった。やはり窓だった。窓の右側からもぞもぞと蟻が十数匹、いや見えていない部分にもいるであろうから、数十匹が姿を現しては消えて、現してを繰り返していた。眺めていると次第に怒りが湧いてきて、今回も掃除機を両手に、大量虐殺厭わず、最早一遍の猶予無しなんて呟きながら全部吸った。すべて燃えるゴミに出した。今日が燃えるごみの日でよかった。

ただ同時に切なさにも似た虚しさ、もの悲しさが僕を襲った。蟻たちに罪はないのだ。ただ真剣に生きて、生活を豊かにする為に、領地を開拓するのに至り、今回は僕の部屋に当たったのだ。しかもその行先も毒餌だった。ただ一方的に奪われる辛さを僕たちは進撃の巨人から学んだのではなかったのか。でも駆逐するしかなかったのだ。君たちは僕の生活を脅かした。生きるとは奪い続けるものなのだ。

 

窓のサッシを養生テープで塞いだ。もう退去まで剥がさない。

 

気を取り直して、シャワーを浴びようとした。気が付いたら、上記の行程を全て全裸で行っていた。帰宅後直ぐにシャワーを浴びようとしていたからだ。私はひどく赤面した。いや、その前に既に顔を真っ赤にして、怒りながら掃除機で蟻を吸っていたけど。

 

入浴後、コンビニで買った弁当を温め、ジョッキにビールを注ぎ、一日の締め括りの晩酌を嗜もうとした。以前はコンビニおにぎりにはまっていて、おにぎりとビールが夜の幸せの代名詞であったが、今ではのり弁とビールに夢中だ。だってのり弁って酒のつまみしか入っていないじゃあないですか。揚げ物数種に、漬物、僕が普段買う物は焼きそばが極少量ときんぴらごぼうも入っている。ごはんは締めにぴったりだ。ただ昨日はのり弁が無かった。のり弁がだよ。のり弁なんかいつも売れ残っているのに、何故か昨日は無かった。仕方がなく別の弁当を買ってきた。

 

その弁当、ご飯に黒ゴマがかかっていた。あれを彷彿とさせる。っていうか蟻だ。もう蟻にしか見えない。一日を締めくくる食事、のり弁を買えなかった代わりに、買ってきた弁当のご飯の上に散らばるは、もうどうしようもなく蟻だった。なんか心なしか食感もぷちぷちしていた。

 

 

 

――遡って今週の日曜日のこと、部屋干し派の僕は、窓を開けて外の風を洗濯物に当てていた。

 

窓の外の風景は視界の端に入っていて、網戸越しに何かが往復しているのが見えた。何往復もしているので注視してみると、それはアシナガバチだった。室外機から流れる水に用があるらしい。水を取り込んで飛び立つ先を見ると巣があった。立派な巣があった。と、いうかめっちゃ近くにあった。ベランダから1メートルもない電線にあった。蜂の子の様子が、普通によく見えるし、何よりアシナガバチが沢山居た。

もうやだこの部屋、早く引っ越したい。